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【書評】意識は傍観者である

 

 

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)

 

本書は、「認知」という行為が如何に限定的であるか、またその限定性と脳の持つ機能との関係性について言及している. 

 

個人的に一番興味深かったのが第五章である.

第五章では,ひどく酔っぱらった男が交通事故を起こし,駆けつけたユダヤ人の警察官に対し,人種差別的な暴言を吐いたという事例をまず紹介している.

素面に戻った男は,自身にはユダヤ人に対する偏見はなく,酒の勢いで思ってもないことを言ってしまったと話している.

一般的には,この男は本心ではユダヤ人に対して差別的で,酒の力が彼の「本当の面」を暴いたと考えるのが妥当であろう.

しかし筆者はこの考えは些か単純だと主張する.

 

人間性を構成する脳はたくさんの神経細胞によって構成されている,それ故「私」という絶対的な自己は存在せず、また同時に「偽りの私」も存在しない.

”ぼくは大きくて、僕のなかには大勢いる”のである.

 

これを筆者は一つの例を用いて説明している.

ある人工知能の科学者が「積み木を見つけて、つかんで、パターン通りに積み上げる」という単純な動作をこなすロボッドプログラミングの開発を試みているのだが,これがうまくいかない.

一見単純に見える操作が、ものすごく複雑な計算を必要とするのだ.

これをマーヴィン・ミンスキーという科学者がある方法を用いて解決した.

「積み木を見つけて、つかんで、パターン通りに積み上げる」という行為を「積み木を見つける」,「それをつかむ」、そして「積み上げる」という3つの別々の単純な行為に分割したのである.

一つ一つの単純な動作を担当する,サブエージェント同士が接続され,一つの複雑な行為を遂行する大きなエージェントとなるのである.

 

本題までが長くなったが,つまり人間の知能も同じ構造になっており,”心のエージェントそれぞれが自分だけでできることは、知性も思考も必要としない単純なことだけだ.しかしそのエージェントを結合して,非常に特殊な方法で,社会を作り出すと,それが知能をもたらす”のである.

サブエージェント同士は全員が同じ思考回路を持ち合わせているだけでなく,それぞれ特有のシステムを持ち合わせる.だからこそ,サブエージェント同士はぶつかり,人は自己矛盾に直面し,葛藤するのである.

ダイエット中の人が,今日目の前にあるケーキを食べるか迷っている姿などがこれに当たる.

サブエージェント同士の関わりが,人の「面」を形成する.サブエージェントは無数にあり,その関わり方も無数にあるため,人間は無数の面から形成される.

 

本書によると,心のエージェントを構成する二大政党が「感情」と「理性」である.

前者は迅速で意識に上らない.後者は認知的で、意識される.

この2つの競争し合うサブエージェントが,私たち人間を「非合理」的な存在たしめているのではないかと思う.

例えば、

①いま一万円を貰うか

②一週間後に一万一千円を貰うか

選択肢を提示されたとき、ほとんどの人は前者を選択する.

しかし、人が

①52週間後に一万円を貰うか

②53週間後に一万一千円を貰うか

の選択肢を提示されたとき、ほとんどの人は後者を選択する.

これも感情のモジュールと理性のモジュールのせめぎ合いで説明できる.

人は,前者により,将来を「割り引いて」考えるのだ,そのため「いま」一万円が貰えることにたいして大きな価値を見いだす.

しかし、2つ目の選択肢のように,感情のサブエージェントが働きにくいのようなシチュエーションでは,理性のサブエージェントが働き,人は合理的な判断を下せることが出来る.

 

これまで自分は「合理的に考えることが出来る」という状態を無条件に「良い」状態であると考えていたが,そうではないのかもしれない.

というより,感情のエージェントは否応なしに僕たちの頭の中にどっしりと存在してしまっているので,そいつに対してどのように対応していけばいいのか,分からない,というのが正直なところだ.

 

思ったより長くなった,この本は難しかったし,完全に消化しきれていない・・・

文章も支離滅裂だが,これから頑張ろう.